猪瀬直樹氏の思い出 猪瀬事務所での修業
猪瀬直樹氏の思い出
猪瀬知事が辞任して感慨深く思います。
不可解な5000万円を受け取っていたことは残念ですが、私は氏のもとで2週間働いたことがあり、思い出を書きました。現在発売中の週刊朝日に寄稿しましたが、編集で少し削られたので、掲載分よりも長くなります。
私は猪瀬直樹事務所で働いたことがある。
2004年秋、道路公団民営化推進委員だった猪瀬氏を取材した。私が厚生労働省の研究所を内部告発して辞した後、ジャーナリストとして雑誌に書き始めて間もない頃だった。
その後、氏のメールマガジンに寄稿してほしいと言われ、「NHK教育テレビで放映された氏が講師の『作家の誕生』という番組を見て、物書きになる夢を膨らませた」と書いた。
冬になって氏から携帯に電話があった。「猪瀬です、猪瀬直樹です。話があるのでちょっと来てください」と。それで、西麻布にある氏の事務所を訪れた。
氏は約束の時間より遅れて来て、地下の応接室に招き入れてくれた。暖炉がしつらえてあり、氏は自ら火をおこして薪をくべながら、
「僕の事務所で働いてみない?」
と言った。女性スタッフが二人寿退職して手が足りないとのこと。帰りはベンツのクーペで自宅まで送ってくれた。窓ガラスが曇ると、信号待ちの間に自分で車を降りて外からふいていたので恐縮した。
返事は事務所の近くの中華料理屋で。
「誰かの下で働くより自分で書きたい」
と固辞すると、「ここで修業をしてから世に出たほうが大物になれる」と説得された。私が元の上司をセクハラで訴えたことを話すと、過激と思われたのか引かれたが、最終的に、修業のため、働いてみることにした。
事務所はコンクリート打ちっぱなしのビルだ。バブル時代にデザイン会社が建てたアトリエを買い取ったという。一階が図書室、二階の半分が氏の書斎で大きな木の机と本棚がある。もう半分はスタッフルームだ。三階が十八畳くらいの和室で、氏がこたつに入りながらスタッフと打ち合わせをしたりテレビを見て休んだりする。金曜の夜は整体師がやってくる。四階はデザイナーズホテルのような居住空間で、ベッドや風呂、テラスにプールもあった。各階を鉄製の階段が結ぶ。おしゃれだが非常階段のような作りで、高所恐怖症の私には階段の上り下りが怖かった。
常勤スタッフは私の他に二人いた。一人は元新聞記者の男性で、もう一人は政府税制調査会の会長だった慶應義塾大学の加藤寛ゼミのOG。いずれも30歳ぐらいだった。二人は氏にずっと仕え、知事就任とともに都の専門委員となった。他に氏の友人や親族が非常勤として経理や清掃をしていた。
私の仕事は新聞・雑誌記事の切り抜きと講演や取材、テレビ出演などの受付とスケジュール管理だった。それから、夜食の用意。弁当や揚げ物を近所のスーパーで買った。
氏の指導は軍隊式で厳しかった。
「階段はかけ上がるんだよ」と言われ、氏が帰るとスタッフは走って報告や連絡・相談に行った。
また、氏は締まり屋だった。小さな新聞記事を普通にコピーしたら叱られた。
「これでは回りの記事もコピーされて、トナーがもったいない。いらない部分は白い紙をあててコピーしなさい」
そのほうが仕上がりもきれいだが、うんざりしたことも事実だ。氏は細かく、仕事の計画も緻密に立てた。部下としては煙たかったが、見習うべきことも多かった。
勤務時間は朝の10時から夜の7時で、私には残業はなかった。
氏は当時週刊誌に連載をしていたが、私は氏が執筆している姿を一度も見たことがない。昼間に取材をすると締め切り直前に徹夜で書き上げるのだ。
氏はおしゃべりで、いろいろなことを教えてくれた。
「講演があるから事務所やスタッフを維持していけるんだ」
NHK講座の影響もあったのか、全国から講演の依頼が毎週のようにあった。
ノンフィクション作家は取材に時間がかかり、原稿料は高くない。生活は大変だ。氏の奥様(この夏に急逝)がずっと共働きだったと言う。
氏は平日事務所に泊まり、週末に郊外の自宅に帰った。奥様も週に一回は事務所に顔を見せた。
奥様は元教師でさっぱりした態度だが、氏のことを「私の彼」と呼び、恋女房なのだなと感じた。もう一人の女性スタッフがモデルのような美女だが勤務態度はマイペースだったので、「あの人、変わってるわね」と私に漏らし、ささやかな焼きもちのように聞こえ微笑ましかった。
しかし、ごみ出しから始まる下積み仕事に私が辟易し、氏からも「外から書いてくれればいいよ」と言われて二週間で退職。
4か月後、氏が道路公団の発注先企業と発注額の一覧を入手、エクセルデータをくれた。私は「発注額とその企業の天下り受け入れ数が比例していたらおもしろいな」という仮説を立て、データで検証すると大当たり、アエラでのスクープ記事となった。
氏が作家ながら権力の内部に入り込み、情報を公開したおかげで、官が支配する「日本国の研究」が進んだことはまぎれもない事実である。