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今年最後の取材は三陸の被災地に行っていきました

皆様、年末はいかがお過ごしですか。
私はかぜでダウンしてしまい、連休中ずっと寝ていました。
 
さて、年末最後にアルクの「日本語」のお仕事で宮城に取材に行ってきました。
帰り道のタクシーで運転手さんの被災体験を聞いたので取材こぼれ話としてご紹介します。
タクシーの運転手さんは老人、三陸の海岸近くに家があり、
地震があったときには車を流してたけど家に帰ったそうです。
以下運転手さんの話
 
家には前月に里帰り出産をした娘と妻がいて、
3人で車に乗って待っていたそうで、
その車に乗ったときにもう10センチの深さで水がきてたが発進した。
次の瞬間に津波が来て流され、水に浮いて娘が「死ぬかもしれんべ」と言った。
自分と妻は怖いから黙っていた。
 
と、民家の軒先のところで流木か何かに乗り上げてぴたっととまった。
車から民家の屋根に乗り、(自分が妻と娘をひっぱりあげた)
しばらくして窓をみたら2つ鍵があいていて
窓から中に入った。
 
中は空き家で入った部屋はきちんとベッドメイキングされて寝るだけになっていた。
となりの部屋のたんすをあけたら少年の服があったたので着替えた。
 
その晩は情報が一切なくすごした。テレビもラジオもなし。携帯つながらず。
星が寄ってみえてきれいだった。
自衛隊機が人の多いところに降りて救出するのは見えた。
 
一階は水に埋もれて台所におりられない。
2階にでんろく豆が2袋あってそれでしのいた。
 
一夜け、二日目の夜になるにつれ水が引いてきた。赤ちゃんのミルクが作れないので、
「明日は出るぞ」と宣言して、3日目の朝を迎えた。
外では「自衛隊が救出しています」との呼びかけの声が響いていた。
出るときにちょうど家主の息子が帰ってきたのであいさつ(近所なので家主とは知り合い、息子は初対面)。
自分から事情を話したら「こういうときですからつかってください」と言ってくれもっていた食べ物を分けてくれた。
それから避難所に行き、今は仮設住宅暮らし。家は壊れ、ローンが2年残っていたが取り壊して更地にした。「夫婦二人なので今後は公営住宅でよい」という。
 
無断で泊まった家の奥さんに後から聞いたら、「戸締りはしたはず」と言うので、2階の窓が開いてたのは地震の揺れのはずみだと思う。
 
震災後、電車は止まり、工事と取材の人がたくさん来て、夏、タクシー会社の電話は鳴り止まなかった(車流されて大変と思うが不幸中の幸い?)。

車から屋根に妻子をひっぱりあげたりしたので、妻子から「私たちだけでは助からなかった」といわれ男として株が上がったとも。

今年はいろいろありましたが、困難の中にも希望あり、ユーモアありの話もありました。
来年もこの国にとって大切な行革の話とともに、そういう話を伝えていきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
皆様よいお年をお迎えください。
 
 

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