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予備自衛官

先週、予備自衛官(語学)として自衛隊の小平学校で3日間勉強してきました。

私たち予備自衛官は後方支援要員です。アメリカの軍人が自衛隊を表敬訪問する際の準備のし方といった、のんきな教材を使いながら、旅団は brigade 、宿営は billet などといった専門英語を習いました。最後の日にテストがあるので、夜は4人1組の寝室で一緒に詰め込み暗記をしました。自由業の私にとっては、久々に同僚がいて、6時起きでラジオ体操といった規則正しい生活ができる楽しい機会です。

防衛庁は1月の省昇格が決まり、職員たちは「これで財務省と直接折衝できるし、他の省と同格になれるのでやり易くなる」と喜びムードでした。

民生委員

父の家の電話がつながらなくなりました。電話代が払えないのでしょうか? でも主に安定した年金生活なのにどんな事情で? 詐欺にでもあったのでしょうか? ただ、元文学青年にして世事に疎い父のこと、手続きミスの可能性が多いので、あわてず、次の週末に様子を見に行きました。

父の家に着きました。ドアをノックしても答えがありません。困って通りに出ると、公民館が目に留まりました。中に入ると、集会が終わったばかりのようで、女性の方が残っていました。近所の人なら何か知っているかもと、思い切って声をかけました。

「すみません。すぐ近くに住む父のことでご相談したいのですが・・・・・・」

ラッキーなことに、その方は民生委員の方でした。民生委員とは、厚生労働大臣に委嘱され地域の福祉に協力する人です。祖父も母も民生委員でしたので、私にはなじみがありました。その民生委員の方は、私の話を聞いてくれ、

「私はそこの担当ではないから、担当の人呼びますね」

と言い、携帯電話をかけると、すぐに、年長の民生委員がやってきました。その方に事情を話すと、

「あら、この前、敬老の日のお菓子配ったばかりよ。お元気でしたよ」

自治体では、敬老の日に高齢者に記念品などを配っているそうです。ひとまず安心。でも、ともかく見に行こうということになり、父の家までつきそってくれました。民生委員の方が外から大きな声をかけると、やっと、のんきな顔をした父が今まで寝てたというような様子で出てきました。無事でなによりです。民生委員の人を交え、そこでしばらく立ち話をしました。すると、ショッキングなことが明らかになりました。

父がボケはじめました

今、来春に本を出す準備をしています。取材を一通り終え、いよいよ執筆に入るところです。本当は、今年中に1冊目が出るはずでした。

ところが、高齢の父がぼけ始めてしまいました。いろいろしてあげたい気持ちと、仕事が遅れてしまうあせりでイライラしました。でも誰もが通る道ですし、父の介護を通して厚生行政の進展を肌で感じることもできました。祖父母が老いたときに較べれば、家族の負担がだんぜん軽くなっており、とても助かっています。しばらく介護のことも綴っていこうと思います。

始まりは、3月前に遡る、敬老の日のことでした。離れて暮らす親に感謝の言葉でもと、80歳になる父に電話をかけようとしました(私は親が年をとってからの子供なのです)。すると、「お客様のおかけになった電話は現在おとめしています」というアナウンス・・・・・・。何があったのかと驚きました。

情報公開請求

情報公開請求で財務省に行き、朝の9時から夕方5時まで丸一日いました。

2年前に情報公開請求したときは、海外出張の飛行機はビジネスクラス・ノーマル運賃で職員に現金渡しでした。ディスカウントチケットを買って差額を小遣いにする人もいたらしいと、週刊新潮に書きました(私が書いた初めての署名入り特集記事でした)。でも、今回請求してみたら、若手職員はエコノミー、運賃もディスカウントチケットを推奨し、アメリカ出張に6万円といった職員もいるという節約が進んでいました。私が書いたからでしょうか。財務省も「おかげさまで」とお礼を言ってくれればいいのに。そんなわけはないでしょうが。その他の成果はまたおいおい書きます・・・・・・。

今は本を2冊書く予定があり、しばらく雑誌の記事を書くことは少なくなります。それなので、記事などの告知以外にもときどき近況を書いていきます。

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